マカッサルでハーフマラソンイベント「MAKASSAR HALF MARATHON」が開催されました。今回のイベントでは、5,10,21kmの部門があり、6,500人のランナーが参加しました。私は、友人と共に21kmを選び、無事完走することができました。現在インドネシアは乾季で日中は32℃に達するほどの暑さのため熱中症が懸念されましたが、当日は雨が降り、マラソンに最適な気温となりました。インドネシア人での友達の多くは徒歩3分の距離でも「遠い。」と言って、バイクを使い移動するため、今回の参加人数の多さには驚きを隠せません。

また、マカッサルで開催されたダンスイベント「SUL SEL MENARI」に参加しました。南スラウェシ州や別の島の伝統的な踊りが1週間毎晩披露されます。観光名所の一つであるオレンジ色のドーム型モスク、Masjid Kubah 99 Asmaul Husnaがライトアップされ、そのすぐそばのステージでダンサーが踊ります。今回、私は同じくマカッサルで活動する日本人の方々と南スラウェシの北に暮らすトラジャ族のダンスを踊らせていただきました。5日間という短い練習期間でしたが、学校終わりに毎日観光事務所に通い、無事成功しダンスを終えることができました。インドネシアのダンスは激しい振り付けは少なく、華麗な衣装を着て、手先を滑らかに動かすのが基本的です。他の地域のダンスを拝見し、伝統舞踊を体験できたことは大変貴重な経験でした。

トラジャダンスを踊る様子
写真1:トラジャダンスを踊る様子

6月17日にイスラム教の犠牲祭「Idul fitri」を体験しました。このイベントは山羊や牛を神様に捧げる儀式として、各世帯または各団地で山羊や牛を屠畜し、家族や友人などと分け合います。実際に、私が暮らしている団地でも、6匹の牛が解体されていて、それを一目見ようと子供から大人まで周りに暮らす人たちが集まっていました。そのような光景を目の当たりにすることは初めてでしたが、改めて食事をするとき命をいただいているということを実感させられました。解体後は、先生の家族や親戚と共に焼肉をして、みんなで犠牲祭をお祝いしました。

犠牲祭の様子

写真2:犠牲祭の様子

犠牲祭の翌日に先生の家族と共に、先生の実家にお邪魔させていただきました。先生は九人兄弟で、その親戚の方々にすでに何度かお世話になっています。しかし、イベントも終わり帰り際に親戚の方々から「れお、またいつか!」と言われました。今までは、「またね!」だったのが、「いつか」がついて、少しずつお世話になった方々や友人との別れが近づいていることを痛感しました。だからこそ、ここで終わらず、またいつか会えるように次につながるように日々を過ごしていきたいと改めて思いました。

そして、今月は子ども食堂「Kantin Kodomo」を開催しました。今回はインドネシアの子供たちにとって大学生や地域の方々との交流できる場、また日本を知っていただく機会として、ハサヌディン大学の日本語学科の学生の方々と共に2日間の子ども食堂を企画しました。参加者は1日目がおよそ30人、2日目が40人ほどでした。一緒にカツカレーを食べたり、折り紙や日本語を教えたり、外で遊んだりました。しかし、イベントをやり切ることができた反面、突然のハプニングや改善しなければいけない点もいくつかあり、イベントを企画する大変さを痛感しました。無事イベントも終わり、参加してくださったすべての方々に感謝いたします。

無事子ども食堂を開催いたしましたが、計画や進行する中で課題もあります。1つ目は、料理の運搬方法です。料理を車で運搬する際に道路の段差による揺れで、カレーがこぼれてしまう出来事がありました。道路が舗装されていなかったり、工事がされていない場所が存在するため料理の保存の仕方に注意するべきでした。2つ目は、料理を盛り付ける時の量です。1日目のイベントでは、2歳から中学生の子供たちが参加してくれたのですが、盛り付けるご飯の量が同じでした。年齢により、子供たち食べる量が異なります。そこで配膳の際、年齢に応じて量を変えて、食べ残しを減らしたいです。

子ども食堂の様子
写真3:子ども食堂の様子

無事にマカッサルでのすべての活動を終えることができました。

続いては、ジャカルタでのインターシップに参加いたします。実際に、海外で働く人たちの姿勢やスキルを間近で学び、約1ヶ月間精一杯頑張って参ります。